2019年3月23日土曜日


牧師の日記から(206

317日(日)主日礼拝。Ⅰヨハネ書簡5612の講解説教「信仰の証し」。この個所は、後にラテン語訳聖書で意訳され、それが三位一体論の根拠とされたという曰く付きのテキスト。父なる神と子なるキリスト、そして聖霊の三つがそのまま一つとされるこの不思議な教理は、本来は地中海全域に拡がった初期キリスト教の多様な信仰理解を丸ごと容認するものだった。つまり神とキリストとどちらが偉いかとか、それと聖霊がどう関係するのかといった錯綜した議論を、すべて丸呑みするところから始まったはずだ。しかし一度これが正統とされると、それ以外の信仰理解を排除することになってしまうのだ。礼拝後、オリーブの会で高岸泰子さんと田中寿美子さんが「アジア協会の働き」を紹介してくれる。

18日(月)朝から書斎に籠もり、大塩牧師の遺稿・追悼集の校正作業。寄せられた文章を読み直して、改めて大塩牧師の牧会とそのひたむきな信仰に感銘を受ける。4月以降の神学読書会の案内ハガキを作成して、北支区内の諸教会に発送。

19日(火)この日も終日、校正作業。特に用字用語の統一に苦労する。しかしこのような仕方で、お世話になった大塩先生の歩んだ生涯を辿ることができるのは幸いであるとつくづく思わされる。

20日(水)朝一番で、荒井博さん夫妻が来てくれて、柿の樹の剪定作業。駐車場を舗装したせいか、樹がかなり弱っているとのこと。陽当りを考慮してどの枝を剪定するかを決めていく。道具類もすべて持ち込んでの手際のよさに感心するばかり。木の枝が広がっているだけ、その根も地中に広がっていると教えられ、考えさせられる。聖書を学ぶ会では、サムエル記下1314章を取り上げる。ダビデの息子たちの争いが始まる。王制につきものの後継者争いが背景にあるようだ。久しぶりに大坪正雄さんが出席された。午後、キリスト教会館に行き、管理組合の仕事の処理とNCAの事務仕事。先週神学生交流プログラムが無事終ったので、早速その報告書作成に取りかからねばならない。夕方帰宅した後も、ひたすら校正作業の続き。ほとんで徹夜して校正を仕上げる。

21日(木)午前中、南千住の大塩光子さん宅で、遺稿・追悼集の最後の編集会議。書名を『主よ、み手もて』と決め、掲載する写真を選定する。午後帰宅して、目次と原稿を装丁家の桂川潤さんにメールで送る。掲載する写真のレイアウトとキャプションの作業。夜、嘉信に来てもらい、編集ソフトを用いての割り付けを依頼する。来週の私の入院前に、ある程度まで仕上げておかねばならない。

22日(金)『ほんの広場』の書評を入稿したところ、短すぎるというので、苦労して大幅に書き足す。内面史研究会の共同討議の整理・編集にも手を付けねばならない。これも入院前に片を付けてなければならないのだが……。

23日(土)午後から聖書と人間を考える会。石井摩耶子さんが、韓国の31独立運動から100年の歴史と、独立宣言を支えた女性たちについて発題された。私はヨハネ黙示録21章の短い聖書研究。参加者は7名。(戒能信生)

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