2019年3月16日土曜日


牧師の日記から(205

310日(日)主日礼拝。Ⅰヨハネ書簡515の講解説教「世に打ち勝つ信仰」。兄弟愛を展開してきたこの手紙が、この箇所で「世に打ち勝つ信仰」を強調する。「世」(cosmos)という言葉は、ヨハネ文書を中心に新約聖書全体で186回も用いられるという。そしてそのほとんどが否定的なニュアンスで語られる。ところが一方で、「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された」(ヨハネ福音書316)と語る。教会をでもなく、また信仰者をでもなく、「世を愛された」というのだ。「世に勝利する信仰」とは、この世界を敵と見て打ち勝つのではない。神が愛されたこの世に勝利するというのだ。高倉徳太郎が「四畳半の信仰にとどまってはならない」と言ったのは、こういうことを指すのだろう。

11日(月)午前中、眼科で緑内障の定期検診。午後から神楽坂の和食屋で北支区教師会。この春隠退・転任する教師の歓送会。長くお世話になった上林順一郎牧師も隠退されるという。夕方帰宅して、神学生交流プログラムの文房具や資料などを梱包して、鎌倉の会場に宅急便で送る。後はひたすら講演の準備。

12日(火)午前中、神学読書会。小原克博著『一神教とは何か』(平凡社新書)を、豊島岡教会の濱田美也子牧師の丁寧な紹介で取り上げる。同志社神学部の一神教学際研究センターでのユダヤ教、イスラム教との共同研究の一つの成果なのだろうが、どうも物足りない。宗教対話の要点を要領よく整理してくれてはいるのだが、これでその対立を乗り超えられる到底思えない。午後から、早稲田奉仕園での山口里子ゼミのスピン・オフ企画「聖書の料理を造って食べる会」に参加。種なしパンやフムス、レンズ豆のスープ、羊の肉の煮込み料理などを受講生たちと協力して作り、一緒に食べる。なかなか美味しかった。

13日(水)この日から二泊三日の「第10回神学生交流プログラム」のため鎌倉のイエズス会黙想の家へ。今回は各神学校から16名の参加。校長の関田寛雄先生の開会礼拝説教で始まる。今回は私が講師で、講演Ⅰ「私の歩んできた道」について話す。改めて自分が牧師としてどのように育てられてきたのか、勉強してきたのかを振り返る。夜は、神学生たちと一緒に夜遅くまで話し込む。

14日(木)二日目。講演Ⅱ「宣教論的視点から見る日本プロテスンタント史」。午後から、神学生たちは4つのグループに分かれて鎌倉散策へ。夜はその報告会。二日目も夜遅くまで90歳の関田先生も交えては話し込む。

15日(金)三日目最終日。プログラムを振り返り、参加者が一人一人感想を述べ合う。また報告書作成の相談。スタッフの丹羽真理恵牧師がいろいろ気配りをして支えてくれて有り難かった。10回目の今回で私と関田先生は担当から降りて、次の担当者にバトンタッチする。10年間続いたこのプログラムの責任者としての任務から解放されてホッとする。夕方帰宅。

16日(土)たまっているメールの処理、『本のひろば』の書評原稿、大塩牧師の追悼集の校正、そして明日の礼拝の準備などに追われる。(戒能信生)

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