2019年8月31日土曜日


牧師の日記から(229)「最近読んだ本の紹介」

渡辺京二『夢ひらく彼方へ ファンタジーの周辺』(亜紀書房)この欄でも何度か紹介して来た熊本在住の作家渡辺京二さんが、熊本の書店が開いた市民講座の記録。88歳の高齢で、書くのは面倒になったが話すのならまだ話せると、ファンタジーについての蘊蓄が披瀝される(一回の講座が3時間を超えるときもあるという)。ルイスの『ナルニア国物語』、トールキンの『指輪物語』、そしてル・グインの『ゲド戦記』などを取り上げて、縦横無尽にその博覧強記ぶりを発揮する。特に、まだ読んでいない人のためのこれらの名作の再話(retold)が見事。読むよりも聞きたいと思わせられた。近代小説とファンタジーとの差異や、これらの作家たちの生涯と作品の評価、そしてファンタジーの歴史に至るまで、その博識ぶりはとどまるところを知らない。こういう読書人がまだ健在なのだと改めて感心させられた。

新藤宗幸『官僚制と公文書 改竄・捏造・忖度の背景』(ちくま新書)行政学が専門の著者が、森友・加計問題における官僚たちによる公文書の改竄・捏造・破棄などの背景を探り、首相官邸主導と官僚たちによる忖度を指摘し、官僚制の劣化を明らかにしている。しかし考えてみれば、1945年の敗戦時、軍関係だけでなく、各官庁も、そして台湾や朝鮮の総督府においても大量の公文書が焼却されたのだった。最近、ソ連のスターリン時代の外交関係の公文書が研究者たちに開示されて話題になっているが、共産主義政権においても公文書は破棄されなかったのだ。この本でも取り上げられているが、戦後の民主主義体制になっても、1972年沖縄返還当時、佐藤栄作政権とニクソン政権の核持ち込みに関する密約は、アメリカ側の公文書で確認されているにもかかわらず、外務省は未だに認めていない。つまりこれは、この国の官僚制に特有の体質ということになるのだろうか。

山際寿一・小原克博『人類の起源、宗教の起源』(平凡社新書)ゴリラ学が専門の山際さんと同志社神学部の小原さんの対談なので、目を通した。正直に言って小原さんの発言や文章は常識的な線であまり面白くなかったが、山際さんの宗教に対する批判と注文が興味深かった。他のゴリラと人間との最大の違いは言葉であり、宗教もまたその言葉に基礎をおいている。しかし言葉が集団を大きくし、共感性を高めたのは事実だが、その言葉に依拠する文化が、今限界に達しつつあるというのだ。「言葉が情報として拡大すればするほど、信頼性を失って、逆に人を傷つける武器になりつつある。宗教はそこを反省しなくてはいけない。本来の宗教の機能に戻って、人と人とを正常に結びつける役割を果たさないといけない」と指摘していて、考えさせられた。

長谷川町子『意地悪ばあさん』全4巻(朝日文庫)『サザエさん』『エプロンおばさん』と読み終わったら、今度は『意地悪ばあさん』を羊子が出してくれた。著者の弁によれば、子どもも読む人畜無害の新聞連載を続けていると、ストレスが溜まり、それをこれで発散したのだという。(戒能信生)

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