2020年2月8日土曜日


牧師の日記から(252)「最近読んだ本の紹介」

加藤典洋『僕が批評家になったわけ』(岩波現代文庫)昨年急逝した加藤典洋の著作で、読み逃していたのが文庫になったので目を通した。著者の「批評」がどのような発想からなされるかをいくつかの事例を通して見せてくれる。例えば、石橋湛山の戦時下の抵抗をこう捉えるのだ。多くの良心的ジャーナリストは、政府に批判的な言動によって逮捕されたり、新聞社を追われて執筆できなくなる。そして三大紙を初めほとんどの新聞が、政府にすり寄る時局迎合的な紙面になる。しかし石橋湛山は東洋経済新報社に立て籠もり、一度も逮捕もされず、その健筆を振るい続けた。大正・昭和史研究者の松尾尊兌は、この湛山について「戦争に反対して投獄された人々は、もとより抵抗者として評価される。それとともに、政府に迎合せず、しかも合法的存在を保つという芸と粘りも、抵抗の一環として評価に値しよう」と評価している。しかし加藤はさらに、石橋湛山の合法的な抵抗をこそ、ジャーナリストとしてスタンダードであり、第一義的なあり方ではないかというのだ。そもそも新聞人が筆を折ったり、折らされたりしては、ジャーナリストとしての使命を果たせなくなるのではないか。このような視点が、従来の左翼公式的なものの観方を越える「批評」なのだという。

鈴木宣明『ローマ教皇史』(ちくま学芸文庫)カトリック教会の2000年の歴史を、ローマ教皇を軸として整理してくれる。ローマ帝国との関係や様々な異端論争、十字軍の遠征、さらに中世の聖職叙任権闘争、そして様々な修道会との葛藤や神学論争などを、ローマ教皇に誰がなったのか、そして教皇がそれらの歴史や論争にどのように関わったのかを簡潔に説明してくれるのだ。先般フランシス教皇が来日して話題になったが、教皇という存在を改めて考えさせられた。

福田佳也『横糸のわざ 信仰と社会のはざまで』(自費出版)信濃町教会の牧師だった福田正俊先生のご子息・佳也さんが立派な自分史を送ってくれたので目を通した。篤実なキリスト者としての銀行マンの生涯を興味深く読んだ。私は牧師としてキリスト教界の中だけで生きてきたので、企業や組織の中での信仰者の葛藤や苦闘の世界を知らない。その意味で大いに学ばされ考えさせられた。

柄谷行人『哲学の起源』(岩波現代文庫)『世界史の構造』で、マルクスの『資本論』を再解釈して、「交換」という概念を軸にこれまでの歴史とこれからの世界の構造を分析した著者が、「軸の時代」の主要思想・ギリシア哲学の起源を、イオニア自然哲学に求めて解説する。従来のギリシア哲学史を覆す視点を提示してくれる。先日紹介した立花隆の『エーゲ 永遠回帰の海』が、やはり初期ギリシア思想に注目していたのとどこかで符合する。

見田宗介『超高層のバベル』(講談社撰書メチエ)社会学者見田宗介の対談集。見田の社会学的な眼差しが、文学者や研究者たちとの折衝の中で披瀝される。興味深いのは、対談相手によって見田の話法が全く変わることだ。特に印象的だったのは、石牟礼道子や三浦展、加藤典洋との対談だった。(戒能信生)

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