2020年5月2日土曜日


牧師の日記から(264)「最近読んだ本の紹介」

村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』(文藝春秋)初めて村上春樹の初期の短編のいくつかを読んだ時、これまでの小説と違う新鮮な印象があった。その一つは父権主義との葛藤がほとんど見られないこと。その後のベストセラーになった長編でも、主人公の両親の存在がおしなべて希薄なのだ。著者自身の書く身辺雑記やエッセーの類にも、その父親や母親についての記述がほとんど見られない。それは何故なのかずっと気になっていた。その村上春樹が、数年前に亡くなった父親について書いた文章が小さな本として出版された。京都にある由緒ある浄土宗の寺の次男に生れ、徴兵されて中国戦線を転々とするが、最後は兵役を免れて京都大学に学んでいる。戦後は兵庫県の私立高校の国語の教師として働く。しかし父親には、戦争体験が重くのしかかっていて、毎朝読経する姿にそれが現れていたという。著者は父親の死去後、その足跡を辿り、ようやくこのような文章を書いたのだという。さすがに村上春樹の文体は優れていて、ある喚起力をもっている。読んでいて、自分と父親とのことをいろいろと考えさせられた。

速見融『歴史人口学事始め 記録と記憶の90年』(ちくま新書)歴史人口学という分野のこの国におけるパイオニアであり、推進者であった速見融の自伝。1990年代に『江戸の農民生活史 宗門改帳にみる濃尾の一農村』を読んで、多大のインパクトを受けた。フランスのアナール学派に始まる中世の人口分析の手法を取り入れ、この国に特有の宗門改帳を丹念に読み解いて、主に江戸期の濃尾地方の人口変遷を辿っている。尾張藩による大規模な新規開拓によって耕地面積が増えると、農家の次男三男が入植して人口が急増する。しかししばらくすると人口増は止まり、江戸期にそれが何回か繰り返された。農民たちの稼ぎで育て得る子どもの数が決まったと見られる。だれに命じられたのでもなく農民自身が人口調節をしていたことになる。人口と家族構成の変遷から、当時の生活やライフスタイルまでもが浮かび上がってくるというのだ。私が教勢統計の分析を試みるようになったのも、速見さんの歴史人口学の影響とも言える。この自伝で、著者の生い立ちからの歩みを詳しく知った。親族に当たる東畑精一や三木清との関わり、常民研究所での網野善彦との出会い、留学中のヨーロッパで偶然のように歴史人口学と出会い、帰国してからのめざましい業績、梅原猛との出会いと日本文化研究センターでの活躍が淡々と綴られる。晩年に、1918年に日本でも流行ったスペイン風邪の分析をしている。日本だけでも45万人が亡くなったという。1923年に関東大震災があり、その記憶が強すぎて、この感染症についての記録が顧みられなかったという。現在、COVID-19の感染拡大で礼拝を中止する教会が増えている。その当時の教会の記録(各教派の機関誌、各個教会史や週報)にはスペイン風邪のことはほとんど出てこない。改めてその事情を調べてみよう。(戒能信生)

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