2020年5月23日土曜日


牧師の日記から(267)「最近読んだ本の紹介」

速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店)大正18年から三年にわたって大流行したいわゆる「スペイン風邪」で、日本国内だけでも45万人が死んだ事実を、歴史人口学の手法で分析している。当時の新聞を丹念に集め、このインフルエンザがどのように報道され、人々はどのように対応したかが紹介されている。例えば1920年(大正9年)1月には、東京市内で猛威を振るい、火葬場が間に合わない状況だったという。感染のピークは119日で、この日だけでも「市内で337名が感冒によって死亡」(『時事新報』)と報じられ、その前後は「魔の三週間」とされている。速水さんは「この時期に東京に住んでいた者は、文字通り生きた心地はしなかったであろう」と解説している。気になって、当時のキリスト教会の資料を丹念に探したが、そういう緊張感は皆無で、何件か教会員の「肺炎」についての言及はあるものの、スペイン風邪についての記述は全く見られない。この違いの理由はどこにあるのだろうか。スペイン風邪の犠牲者になった当時の貧しい庶民にとって、キリスト教会は敷居が高かったということなのだろうか。この点はさらに調べてみたい。

安田寛『唱歌と十字架 明治音楽事始め』(音楽の友社)教会の印刷室の書棚で見つけた。明治の初め、音楽教育のために採用された『小学唱歌』の大部分は、讃美歌から採られたことは今ではよく知られている。その『小学唱歌』の編纂者である御雇外国人メーソン招聘の事情と謎について、探偵小説仕立てで書かれている。当時の文部省には、開明派の森有礼や田中不二麿たちが西洋音楽の導入を推進しようとしたのに対して、国学派の元田永孚(教育勅語の執筆者)たちが執拗に反対して「わが国固有の邦楽を培養」することを主張した。そのために音楽取調掛に邦楽者を入れて西洋音楽導入を阻止しようとした。ところが、雅楽稽古所の伶人上眞之を皮切りに、同僚の奥好義、辻則承などが次々にメーソンに弟子入りして、チェロやヴァイオリンなどの西洋楽器を学び、これがきっかけで雅楽者たちによるオーケストラ演奏が宮中に取り入れられるようになったという。古来伝統の笙や琵琶、篳篥(ひちりき)などの継承を家の職業として受け継いできた楽人たちは、むしろ積極的に西洋音楽を学ぼうとしたというのだ。

やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)私が中学生の頃、映画雑誌に独特の絵入りの映画評を著者が書いていたのが記憶に残っている。その後、『アンパンマン』で子どもたちに爆発的な人気者になる。教会から曙橋の駅に行く途中に、アンパンマン・ビルがある。やなせたかしが苦労して手に入れた家の跡地に建てられたという。強くて無敵の正義のヒーローではなく、自分の身体をちぎって、お腹の減った人に分け与えるというアンパンマン誕生の秘密を、自分の挫折多い生涯の歩みと重ねて書いた自伝で、とても面白かった。(戒能信生)

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