2020年8月29日土曜日

 

牧師の日記から(281)「最近読んだ本の紹介」

松谷基和『民族を越える教会 植民地朝鮮におけるキリスト教とナショナリズム』(明石書房)1975年生まれの研究者が、朝鮮キリスト教史についてハーバードに提出した博士論文。これまでの通説を覆す内容を含んでいる。日本による植民地支配への批判はもちろん貫かれているが、他方で宣教師たちによる宗教的支配に対する批判的視点が特徴。したがって朝鮮キリスト教史全体を、日本の「政治的帝国主義」とミッションによる「宗教的帝国主義」の狭間で葛藤する歴史として捉え直そうとしている。この問題は、日本キリスト教史においても共通する課題で、明治期からミッションの支配に対する様々な抵抗と軋轢が垣間見える。例えば植村正久のNational Churchの主張、内村鑑三の激しい宣教師・教派批判(これが無教会の主張につながる)、同志社のミッションからの独立問題など。ただこの宣教師支配とその政治への忌避を批判的に取り上げる論点は、例えば組合教会の朝鮮伝道(=総督府支配を宗教的に擁護する立場)を合理化することにつながりかねない危険性を孕んでいる。その点で、1920年代以降の朝鮮キリスト教史を扱う続編に期待したい。

網野善彦・宮田登『歴史の中で語られてこなかったこと』(朝日文庫)中世において「百姓」は必ずしも農民を指す言葉ではなかったという視点から、農を日本の歴史の中心として捉える定説を根底的に批判する異端の歴史家・網野善彦と民俗学者宮田登の多年にわたる対談が収録されている。中世の資料から海民や商人等の多様な活躍に注目する網野に対して、宮田登は膨大な民俗文化の蓄積を踏まえて応対している。例えば、上州で養蚕を担った女性たちが経済力を有し、生糸の取引等にも関わったのではないかという推測から、江戸期の女性の役割を再評価する。これは群馬キリスト教史との関連で、女性の視点での捉え直しにつながるかも知れない。また甲府で牧師をしながら民俗学研究を続けていた山中笑(共古)が取り上げられているが、この人物には以前から関心があり、いつか調べてみたい。二人の碩学が対談の中で何気なく語られる一つ一つに、驚くべき指摘が含まれていて丹念に再読しなければならない。

福岡良明『勤労青年の教養文化史』(岩波新書)かつてこの国では、貧しさの故に上級学校に進めなかった若者たちが、働きながら、あるいは定時制高校に学びながら、読書会やサークル活動を通して教養を身につけようとした。しかし1960年代以降の経済成長と高校進学率の増加によって、そのような勤労青年たちがいなくなったこの国の現在を問うている。いわゆる勤労青年が激減し、同時に教養主義自体が没落する中で、この国を大衆文化が覆っていく。中で紹介されているのだが、昭和22年に岩波書店から『西田幾多郎全集』が刊行されたとき、それを買い求めるために神保町の岩波書店社屋を取り囲んで長蛇の列を作り、二晩徹夜組も出たという。このような知への欲求は今ではそのかけらも見られない。(戒能信生)

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