2020年10月3日土曜日

 

牧師の日記から(286

927日(日)主日礼拝。サムエル記下1章のサウルとヨナタンに対するダビデの哀悼歌「弓の歌」の講解説教。この歌には政治的な思惑もあっただろうが、何よりダビデその人の故人への哀悼の想いが込められている。礼拝後、入門講座で「讃美歌の歴史」を取り上げる。旧約の時代から歌われて来た讃美歌が現在の詩編。メロディーは失われてしまったが、神を賛美することが何より大切にされて来た。それは初代教会にも引き継がれ、東方教会でも、西方教会でも独自の教会音楽が発達する。しかし特にカトリック教会において、グレゴリオ聖歌など極めて技術的にも高度な教会音楽が発達し、専門的な聖歌隊が歌って、会衆はそれを聞くだけになっていく。それを宗教改革において、特にルターがドイツ語で作詞し、しかも民衆のメロディーを採用してコラールが作られ、現在につながっている。まさに「主を賛美するために民は創造された」(詩編10219)のだ。

28日(月)午前中、東駒形教会での月曜会。シュタウファーの『キリストとローマ皇帝たち』の前半部について発題と紹介を担当する。神話から説き起こし、循環的な自然神話から運命神話へと至り、ついには帝国史的神話が成立して、皇帝こそ救済者であると見做されるようになる。その具現化である皇帝アウグストゥスの治世下にイエス・キリストは生まれた。つまり皇帝とキリストが徹底して対比されるのだ。訳者の川島貞雄先生も出席され、いろいろな質問に答えてくださった。帰宅後、準備をして夜は日本聖書神学校の授業。山室軍平について受講生たちの読書レポート。

29日(火)午前中、四ツ谷の眼科で定期健診。可もなし不可もなしというところ。郵便局に寄って対外献金などの振り込み。

30日(水)午前中、聖書を読んで祈る会。列王記下17章以下のユダ王国の王たちの事跡を取り上げる。アハズ王の時代に、しかもシリア・エフライム戦争の最中に預言者イザヤが現れ、軍備や外交に頼るのではなく、一人のみどり子に託された希望を語る。イザヤのメシア預言は、きわめて具体的な政治的文脈においてこそ理解されねばならない。午後は柏木義円研究会の会計処理の作業と公開講演会の準備。長老会のアジェンダ作り。

101日(木)午前中、義円研究会の事務局便りと公開講演会の案内の発送作業を直子さんに手伝ってもらう。午後からキリスト教会館へ。NCAの事務仕事を処理し、4時から運営員会。コロナ禍での各プログラムが始まったが、ZOOMの利用により全国からの参加者が増え、聖書講座などは75名の視聴といういう盛況ぶり。コロナ禍で各教会は苦闘しているが、コロナ後に向けて新しい礼拝論、教会の在り方を模索しなければならない。そのための共同研究を立ち上げる必要があるという議論になる。

2日(金)明治学院の『紀要』論文の査読作業。他人の論文を批評するのは厄介ではある。気がついた誤植や資料の取り扱いについての問題点を指摘する。NCA運営委員会の記録を作成して委員に送付。(戒能信生)

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