2024年8月10日土曜日

 

 牧師の日記から(481)「最近読んだ本の紹介」

斎藤美奈子『挑発する少女小説』(河出文庫)翻訳ものの少女小説というジャンルがある。例えば『若草物語』『ハイジ』『赤毛のアン』『あしながおじさん』などが代表で、私も少年時代、子ども向けの要約版も含めてほぼ目を通している。姉が二人いて、身近にこれらの少女小説があったからだ。ところが同世代の男の子は、この類の少女小説をほとんど読んでいないという事実を知って驚いた。これは、私自身の女性観、ジェンダー観に影響を与えたかも知れないと、今さらながら気づかされたのだ。本書は、「将来の夢はお嫁さん」「いつか王子様が現れて」といったシンデレラ神話を脱却して、女性の自立、経済的独立、社会参加へと呼びかける役割を、少女小説が果した事実を指摘している。少女小説とフェミニズムの接点について考えさせられた。

廣野由美子『シンデレラはどこへ行ったのか』(岩波新書)羊子と『挑発する少女小説』について話していたら、こんな本もあるよと出してくれた。上記の少女小説の源流に、19世紀イギリス文学の古典、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』があることを、英文学者が実証的に論じている。そして『ジェイン・エア』こそは、シンデレラ・コンプレックスを乗り越えるべく書かれた少女小説の原点だというのだ。結婚が、女性にとってクラス・チェンジの唯一の機会であり、人生の目的であるという神話を、女性たち自身がどのように乗り越えようとしてきたか、一連の少女小説の描き方から読み取れるという。『ジェイン・エア』を改めて読み返してみようかしら。

大野裕之『チャプリンが見たファシズム』(中央公論社)中野好夫の訳で『チャプリン自伝』は読んでいる。内容はほとんど忘れているが、チャプリンが大変な知識人だったという印象が残っている。本書は、サイレント時代の最後の名作『街の灯』を完成後、一年半にわたって休暇を取り世界を周遊して回ったドキュメント。故国イギリスでは大歓迎を受けるが、ドイツでは、奇妙なことにチャプリンがユダヤ人と見做されて、ゲッペルス以下ナチス政権からバッシングされた事実も紹介されている。最後に日本に来て、1932515日に犬養毅首相と首相官邸で面会するはずだった。しかしちょっとした手違いで相撲見物に行くことになり、危うく515事件に巻き込まれずにすんだという顛末についても詳しく取り上げられている。これらの体験をもとに、アメリカに帰国後、1940年に初めてのトーキー映画「独裁者」を監督・主演し、ヒトラーとナチス独裁政権を批判し痛烈に諷刺したことはよく知られている。チャプリンは大の日本贔屓きで、秘書や運転手、使用人のほとんどが日本人だったという。(戒能信生)

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