牧師の日記から(565)「最近読んだ本の紹介」
村上春樹『夏帆』(新潮社)久しぶりの村上春樹の新刊小説。初めて女性を主人公にしている。童話作家の主人公の描くメルヘンが作中作として並行しつつ、独特の村上ワールドが拡がる。私自身の学生時代の生活の拠点であった武蔵境を舞台に、夢の中に現われたアリクイの夫婦の助言にしたがって彼女の冒険が始まる。主題は、なんと母親との対決!村上春樹の小説には、親子関係のモティーフが希薄とされる。この国の私小説の多くが父親との確執がテーマとされる中で、彼の作品には父親も母親もほとんど登場しないのだ。その意味では新たな挑戦と言える。ただ、以前のいくつかの作品に見られた現代社会の問題を比喩的に取り上げる傾向は影を潜めてファンタジーに徹している。あまり深読みせずに、相変わらず読みやすく見事な文体でつづられる村上ワールドを堪能した。
熊谷誠人『詩人茨木のり子の誕生 西尾の少女の物語』(風媒社)茨木のり子の私生活にはいくつものヴェールで覆われていて、それが彼女の詩の魅力にもなっている。だから詩人の少女時代の実像を晒すことにある抵抗と違和感があった。しかし本書は、詩人のプライバシーをできる限り尊重しながら、戦時下のこの国の教育の中での一人の少女の成長を、当時の資料に基づいて暖かく見つめていく。そこには著者の詩人へのリスペクトと節度ある距離感が読み取れて好感が持てる。実際に茨木のり子の詩の中に、少女時代の記憶や体験が反映されており、その解析が見事で詩の読解が深まる。友人の杉本誠牧師の西尾教会がある街が背景になっていることもあって、興味深く読まされた。
会田弘継『それでもなぜ、トランプは支持されるのか』(東洋経済新報社)トランプ政権を支持するアメリカ福音派についての解説本を何冊か読んだが、あまり納得できないでいた。著者たちがいずれもトランプ政権やその支持者に対して批判的な立場から論じていることもあって、あのように傍若無人で自己愛過剰な独裁者がなぜ人々から支持されるのか理解できないでいた。そのことにこの欄で触れたのを見てか、梅本和義さんが著者から贈呈された本書を貸してくれた。この本の中で前提とされるアメリカ政治思想史については全く予備知識がないが、初めて知ることが多く教えられた。共和党は保守、民主党はリベラルと漠然と決め込んでいたが、この30年の間にアメリカにおける政党の質が根本的に変質してきたこと、さらに言えばオバマ政権下の経済政策の無策の結果が、トランプ現象の背景にあるというのだ。「幸福な国はトランプを大統領に選んだりしない。絶望している国だから選んだのだ」というあるジャーナリストの言葉が問題の所在を端的に示唆している。極端な経済格差が拡大し、特に学歴のない白人層に「絶望死!」が拡がっているという。想像していたよりもアメリカ社会の内部対立と分断は激しく、危険水位に達している現実に慄然とさせられた。それはこの国とも無縁ではないのだろう。(戒能信生)